平昌オリンピックのときに書いた、スポーツ選手のうつくしさについて
随分前に書いた文章。
オリンピック選手ってウルトラスーパーかっこいい。
ほんのちょっとだけ垣間見えた
魅惑の飲み物、それはメロンソーダフロート
メロンソーダフロートが好きだ。まず見た目。普通は味から語るのではと思った方、少し考えてみてほしい。人間が最初に情報を手に入れるのは視覚からだ。メロンソーダは誰がなんと言おうと綺麗だと思っている。美しいというより綺麗。透き通ったエメラルドグリーンの上に浮かぶ、白いバニラアイスクリーム。それはさながら南国の海に浮かぶ島のよう。つやつやとしたさくらんぼが乗っていればさらに良い。緑と白と赤のコントラストの眩しさに、目を細めることしかできない。着色料だ、体に悪いなどという意見は全てスルーさせていただきたい。
わたしの幸福論
きいてください、わたしの幸福論。
例えば選択肢にAとBがあるとするじゃないですか。今まではAとBどちらを選んだら幸せで、どちらを選んだら不幸かっていうのを考えていたんですよ。
でも違う。
どっちも幸福なんですよ。Aを選んだら、Bでは得られなかった幸せが得られる。Bを選んだらAでは得られなかった幸せが選べる。
どっちも幸せになれるし、幸せの形が違うだけって考えたら楽なんじゃないかって。
これからはこの考え方で生きていこうと思います。ありきたりな言葉ですが、物事は考えかた次第ですもんね!!明日もハッピー!!!!
忘れたくない
忘れたくないことがめちゃくちゃあるというおはなし。
最近、自分が好きなものを忘れたくないと強く思います。
わたしは絵を描くのが好きなんですが、見るのも同じくらい好きなんです。好きなイラストレーターさんとか数え切れないくらいいて、この人の絵好きだな!と思うと瞬時にツイッターをフォローします。そしてpixivをやっていた場合は颯爽とリンクからその人のホームまでいき、支部のほうもお気に入りに登録します。
もちろんその人の絵が好きで定期的に見たいからというのが一番なんですが、好きだと思ったから忘れたくないというのもあるんですよ。ひとって忘れる生きものじゃないですか。すべてのものを覚えていたら、情報量の多さや悲しいできごとのせいでしんどくなってしまうからたぶん忘れることは幸せでもあるかもしれない。
でもわたしは忘れたくないんだよ~!!!!
忘れるということが怖い。今感じてることとか、この瞬間好きだと思った事象や物をずっと覚えておきたい。ときどきそっと見返して心をいっぱいにしたい。どうも、ポエマー代表です。許して。深夜だからポエマーにもなるわ。もうすぐ卒業だからセンチメンタルになってるっていうのもあると思うんですが……。友達とくだらない話をしながら一緒に帰ったときの空気感とか、旅行に行ったときの美しい風景とか、その他もろもろ。写真撮ればいいじゃんって思った方、いやその通りなんですよ。だから写真大好きだし、ぱしゃぱしゃシャッターを押しまくるんですけど。
でもさ!!!!
写真を見返して思い出すことはできるけどさ、そのとき感じたことをそっくりそのまま蘇らせることはできないじゃん!!!!当たり前のことだけどさ!!それが嫌なの!!!!そっくりそのまま思い出したい!!楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったこと、好きだと思ったことをさ!!!!!
でも無理なんだよなぁ。
pixivでイラストをブックマークするときも、「ああ~~~こんなに素敵なイラストなのに、わたしはいずれこのイラストとのことを忘れてしまう~~!!うわ~嫌だー!!!!!」とうだうだしています。
だからわたしは文章を書くことが好きなのかもしれない。そんな理由もありわたしは自分の思っていること、好きなことをツイッターで逐一報告しています。ツイ廃です。ツイッターたのしい!!そしてそれをときどき見返すのが好き。例:自分のユーザーIDのあとに「幸せ」「楽しい」「好き」「嬉しい」を入れて、そのとき自分がどんなことに前向きな感情を持っていたかを調べる。
この作業、たまにやるとほっこりして楽しいよ。みんなもやってみてね。
おわり
自己肯定感の高めかた(という名の自分語り)
ツイッターでよく、「自己肯定感めっちゃ低いから生きるのしんどい」みたいなつぶやきを見る。そんなひとに声を上げていいたい。
自己肯定感が低くなってしまったきっかけ
自己肯定感を高めるためにやってみたこと(失敗談)
サルバドール・ダリが「毎朝目をさますたびに自分がダリであるという喜びを感じる」てなことを言っていて、これが巨匠レベルの自己肯定感かと思う
— 柞刈湯葉(イスカリユバ) (@yubais) 2017年11月5日
自己肯定感を高めるためにやってみたこと2(成功談)
もう一つ大事なこと
まとめ
ひょろっとした背中を思い出した
友達とはなんぞということを考えるとき、必ず思い出す男の子がいる。